日本三大松原、新日本三景、国指定名勝
静岡県静岡市清水区の「三保松原(みほのまつばら)」は清水港から駿河湾へと出ている三保半島の景勝地です。
JR清水駅から三保方面にバスで約25分、「羽衣の松入口」で下車し、徒歩10分の場所です。
佐賀県唐津市の虹ノ松原、福井県敦賀市の気比松原と並ぶ「日本三大松原」の一つです。
又、1915年(大正4年)に北海道亀田郡七飯町の堰止湖「大沼(ポロトー)」、 大分県中津市にある「耶馬渓(やばけい)」と共に「新日本三景」に選出されています。
駿河湾を挟んで冨士山、松林、砂浜が続く絶景が有名で、1922年には「天橋立」と共に国指定の名勝に選ばれました。
総延長7kmの海岸線、5万4千本の松林から駿河湾を挟んで望む冨士山は平安時代からの景勝地として知られ、和歌や能の舞台にもなっています。
歌川広重の浮世絵「六十余州名所図絵」の「駿河三保の松原」にも描かれており、西洋の絵画にも影響を与えたといわれています。
「羽衣伝説」と「羽衣の松」
「三保松原」には天女が舞い降りて松の枝に衣をかけたという「羽衣伝説」があり、今も尚「羽衣の松」があります。
樹齢650年、高さ10m、外周5mにも及ぶ「羽衣の松」は残念ながら虫食いなどによる侵食が進み、世界遺産登録後の2013年7月に伐採されました。
地元では新たに「羽衣の松」を指定して保存に乗り出しています。
「羽衣伝説」とは昔天女が美しい衣を枝にかけて水浴びをしていた所、漁夫の伯梁が衣を見つけて持ち帰ろうとしたら、天女が私の衣なので返して下さいと」お願いします。
漁夫は天女の衣なら返せないといいますが、天女が天に帰れないと嘆き悲しむと、天女の舞を見せる事を条件に衣を返す事になりました。天女は喜んで舞を披露し、衣を返して貰って無事に天に帰って行きました。
「羽衣の松」からは「神の道」と呼ばれる松の並木道が500mほど続き、その先には天女の「羽衣の切れ端」が祀られている「御穂神社(みほじんじゃ)」があります。
毎年10月には「羽衣の松」の前で「三保羽衣薪能」が上演されます。
エレーヌの碑
「三保松原」にはフランス人舞踏家のエレーヌ・ジュグラリスの功績を讃える「エレーヌの碑」があります。
1916年フランスに生まれたエレーヌが舞踏芸術を追求する中で辿り着いたものが日本の能でした。
三保松原の羽衣伝説を題材にした能「羽衣」に魅了され、独自の「羽衣」の舞台を作り上げて行きました。
1949年には舞台初演を成功させましたが、同年羽衣を来たまま舞台中に倒れ、闘病の末に1951年、35歳の若さで帰らぬ人となりました。
エレーヌは臨終の間際に夫へ代わりに三保松原を訪れる様懇願したそうです。
エレーヌの夫マルセル氏は遺言通り来日して「三保松原」を訪れますが、エレーヌの功績に感動した人々の支援で1952年にエレーヌの偉業を讃える「羽衣の碑(エレーヌの碑)」が建立されました。
碑には能面を見つめるエレーヌの姿のレリーフがはめ込まれており、夫が妻に送った詩が刻み込まれています。
又、エレーヌの遺髪は彼女の遺言通り、碑の下に収められています。
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