須山登山道の起点となる神社
静岡県裾野市の「須山浅間神社」は創建は神代とされる須山登山道の入口にある浅間神社の一つです。富士山登山道須山口の起点にある標高580mの神社で、「冨士浅間宮」、「南宮下之宮」、「下之浅間社」、「冨士山南方司」、「冨士山南口方司」とも呼ばれていました。元は冨士山東口の神社でしたが、御殿場口登山道の増設により南口登山道冨士浅間下宮として祀られました。境内には樹齢400年以上の大杉が20本以上あり、浅間神社社叢として林全体が裾野市指定天然記念物(1967年)に指定されています。
創建神代の日本武尊創始の神社
創建は第12代景行天皇の時代(西暦71~130)とされ、「山宮浅間神社」にも関わる日本武尊が賊徒征伐の際に訪れ、「須山浅間神社」を創始したと伝えられています。
以後、欽明天皇の時代(西暦552年)に蘇我稲目が本殿を再興し、天元4年(西暦961年)には平兼盛が修築しています。
文献上は1524年には存在していた事が確認されています。
武家による崇拝と保護
富士の大神を祀る一方で、武士の戦勝祈願を行う神社として源頼朝、武田信虎、武田勝頼、今川氏、北条氏など武家の崇拝も受けてきました。武具、土地、貨幣など数々の寄進や祈祷がされており、長らく武士の保護を受けてきたのです。
登山道の歴史と再興
須山浅間神社は須山登山道の入口として栄え、1800年には同登山道から5,398人の登山者がおりました。
しかし、1707年の宝永大噴火により、社殿も登山道も被害を受けて「須山登山道」は閉鎖となりました。1780年には苦労の末に登山道が復興し、1823年には現存する社殿も再建されましたが、1883年(明治16年)の御殿場口開通、1889年(明治22年)の東海道線開通の影響もあり、須山登山道の利用者は減少していきました。
結局、その後の1912年(明治45年)の演習利用のための陸軍接収により登山道は廃止されてしまいました。
ところが、度重なる登山道復興運動により、1997年に須山口登山歩道、1999年には須山口下山歩道が完成し、須山登山道が復活する事になりました。
世界文化遺産「冨士山」の構成資産
世界文化遺産登録に推進された冨士山の構成資産の一つでもあり、2011年には拝殿、幣殿の改築、屋根の葺き替えと大規模な改修工事が行われ、登録に備えています。
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