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【富士山世界文化遺産構成資産】富士山頂の信仰遺跡群

富士山
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山頂域に数々の冨士信仰遺跡

富士山頂には火口壁に沿って神社、鳥居、石仏などの冨士信仰遺跡群があります。

富士山は古来より信仰の対象とされ、富士山頂は富士山の神仏が鎮座する聖域とされてきました。

富士山の噴火口は内院と呼ばれ、噴火口底部には浅間大神(大日如来)が鎮座されています。

冨士山頂には富士山本宮浅間大社奥宮、浅間大社東北奥宮、金明水、銀明水、東安河原など数々の信仰遺跡があり、これらを総称して世界文化遺産「富士山」の構成資産である「富士山頂の信仰遺跡群」と呼びます。

浅間大社東北奥宮は久須志神社とも呼ばれ、浅間大社奥宮の末社として登山道須走口、吉田口、河口湖口の頂上に鎮座しています。金明水、銀明水は富士山頂で湧き出る貴重な水として祠が建立され、修験者や冨士講者に崇拝されてきました。

金明水は吉田口登山道の近く、銀明水は御殿場口登山道近くにあります。

富士山全景

「お鉢めぐり」の由来

「お鉢めぐり」とは冨士山頂部の火口を一周する事ですが、かつては「お八めぐり」と呼ばれていました。

「お八めぐり」とは「八葉めぐり」ともいわれ、火口周辺の山頂部分には剣が峰、三島ヶ嶽、駒ケ岳、浅間岳、成就岳、伊豆岳、大日岳、久須志岳、白山岳の八つの峰があり、火口の周囲を仏教の曼荼羅に見立てて参拝者が巡礼していました。

富士山頂は仏がおわす聖地として巡礼者を受け入れてきたのです。

山頂で日の出を拝む「御来光」も巡礼者にとっては仏の来迎である「御来迎」として崇拝されてきました。

このように仏教色が強かった富士山頂域ですが、1868年の神仏分離令により仏教色をなくして寺院を神社へ転換するなど神道の影響が濃くなりました。

山頂地域に奉納されていた仏像はその大部分が廃棄され、冨士興法寺の大日堂は冨士山本宮浅間大社奥宮、薬師堂は浅間大社東北奥宮として改変されました。

「八葉めぐり」とされる「お八めぐり」の名称も火口がお鉢に似ている事から「お鉢めぐり」と呼ばれる様になりました。

富士山頂は何県か

現在、山頂には冨士山本宮浅間大社奥宮、浅間大社東北奥宮(久須志神社)があり、八合目より上は浅間大社の境内地とされています。

安永8年(1779年)には江戸幕府が八合目以上を浅間大社の境内として寄進して支配権を認めています。

明治維新後は国有地とされましたが、1974年の最高裁判決により浅間大社の所有地と認められました。

しかし、土地の所有権を登録するにも八合目以上の富士山域は山梨県と静岡県の境界が定まっておらず、未だに土地の登記がされていないのが現状です。

境界の区分には両県の主張があり、長い間明確に決められていないので、「富士山頂は何県なのか」という質問に今の所答えはありません。

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