冨士山最古の神社
「冨士御室浅間神社」は文武天皇3年(699年)藤原忠義により冨士山二合目に祀られたのが始まりです。冨士山山中に初めて創建された神社で、境内が冨士山吉田口登山道二合目の本宮と富士河口湖町勝山の里宮の2箇所に分かれています。元々は富士山二合目に創建されましたが、養老4年(720年)雨屋建立、大同2年(807年)社殿建立を経て、天徳2年(958年)には村上天皇の命により参拝者礼拝の便宜を図るために河口湖南岸に里宮が創建されました。二合目の本宮は富士山修験者の参詣、富士講講者の参拝を受け入れて隆盛を誇りました。甲斐武田氏、小山田氏、徳川氏など戦国武将に崇敬され、社殿の修復など保護を受けてきました。
本宮より里宮に本殿移築
富士山大噴火や山中の厳しい環境による被害を受けても度重なる修復を重ねてきた本殿ですが、永久保存する為に昭和48年(1973年)二合目から富士河口湖町勝山の里宮に移築しました。現在の本殿は慶長17年(1612年)に甲斐国郡内領主鳥居成次により建立されました。
各時代の権力者に手厚い保護を受けて来た浅間神社ですが、本殿は元々標高1,700mもある富士山二合目に建立されており、山中の風雨や雪など過酷な自然環境に晒されている為、損傷や劣化が激しい事が懸念されていました。
富士山信仰の重要な位置を占める本宮ですが、本殿の管理保存を目的に里宮に移築されました。
本殿移築後は石の祠が建立され、年1回祭事が行われています。
貴重な文化財
とりわけ武田氏には3代に渡って敬われ、里宮境内にある「勝山歴史民俗資料館」には武田信玄直筆の「安産祈願状」など武田氏由来の古文書が多数保管されています。「安産祈願状」は武田信玄が北条氏政に嫁いだ長女黄梅院の安産を祈願して神社に奉納した願文です。
又、山梨県有形文化財に指定されている「勝山記」は師安年間(564年)から永禄6年(1563年)まで約千年間にも及ぶ年代史で、山梨県地域の政情、生活、気象、災害などが刻銘に記述されており、当時の様子を知る貴重な資料とされています。
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